東京工業大学

溶液湿布だけでできる透明p型アモルファス半導体


 東京工業大学 科学技術創成研究院の細野秀雄教授(元素戦略研究センター長)と元素戦略研究センターの金正煥助教らの研究グループは、これまで実現できなかった液相から合成でき、高い移動度を持つ透明p型アモルファス半導体[用語1]の設計指針を考案、Cu−Sn−I系半導体で初めて実現した。

 3eV以上のバンドギャップ[用語2]を持つ透明物質で正孔が伝導キャリアとなるp導体は稀。研究グループは、化学結合と構成イオンの軌道の広がりを基に、新たな物質設計指針を考案した。Cu(銅)−Sn(スズ)−I(ヨウ素)という3成分系に着目、原料を溶媒に溶かし、室温で塗布することで、6〜9cm2 /Vsという大きな移動度を持つ透明p型アモルファス半導体の薄膜が得られた。この移動度は、同グループが開発し、既にディスプレイの駆動に使われているn型アモルファス酸化物半導体のIGZO[用語3に迫るもの。これを用いれば、プラスチック基板上に透明pn接合が容易に形成できるので、曲がる透明な電子回路開発に道が開ける。今回、物質設計指針が確立したことから、多くの元素の組み合わせでの活用が広がり、透明n型アモルファス酸化物半導体(TAOS)に匹敵する、新しい物質群の創製が期待される。

【研究の背景と経緯】

 半導体には、電子が伝導を担うn型と正孔が担うp型がある。ディスプレイへの応用には均質で大面積の薄膜が容易に作製できるアモルファス半導体が適しているが、アモルファスの半導体は電子や正孔が動きにくいため、高精細な液晶ディスプレイや有機ELディスプレイの駆動には適用できなかった。

 研究グループが創出したIGZOに代表される透明n型アモルファス半導体は、アモルファスでも電子の動きやすさが結晶と比べても低下しないように設計したもので、現在では様々なディスプレイの画面の駆動に使われている。しかしながら、p型半導体では同様の機能を持った半導体は実現していなかった。

【研究の内容】

 1996年に大きな電子移動度を持つTAOSの設計指針と、それを基に作製した物質群を報告。それまで結晶の半導体をアモルファス化すると、欠陥や構造の乱れが生じ、伝導を担う電子の移動が阻害されてしまうために、電子の輸送特性は著しく劣化すると考えられていた。

 研究グループは、(n−1)d10 ns0 (nは主量子数で≧5)という電子配置を持つ金属イオンから構成される酸化物ならばアモルファス化しても、結晶に近い移動度が保持されるということを提案した。

 一般に、電子が伝導する伝導帯の底部は、透明な酸化物では主に陽イオンが空の電子軌道[用語4]で構成される。この金属イオンの系では、空間的に電子の広がりが大きく、形状が球形のs軌道同士が重なっている。よって、アモルファスになって結合の角度が様々に変化しても、s軌道同士の重なりの大きさは、それほど減少しない。

 現在、売り出されているIGZOは、この考え方で実現したTAOSの一つ。これに対しシリコンでは、空間的広がりが小さく、形状の異方性の大きなsp3軌道から構成されているため、アモルファスになると移動度が数桁も低下してしまう。

 従来の考え方では、p型アモルファスの設計は困難だった。正孔が動く価電子帯の上部は、主に陰イオンの占有軌道から構成されるからである。そのため、価電子帯の上部に占有された軌道を持つ陽イオンである銅イオンやスズイオンなどを使ってp型の酸化物半導体を実現してきたが、これらの系ではアモルファス化すると高い移動度の半導体は得られなかった。

 今回、空間的広がりが大きな占有されたp軌道を持つ陰イオンであるヨウ素イオン≠ノ注目。このイオン半径(5p軌道の広がりで決まっている)は〜200pmであり、これはn型のTAOSの主構成イオンであるインジウムイオンの空の5s軌道の半径(180pm)よりも大きい。5pの3つの軌道に電子が6つ詰まったヨウ素イオンは、電子が占有された半径の大きな擬s軌道と見なすことができる。よって、ヨウ素化物の結晶半導体をアモルファス化すれば大きな正孔の移動度をもつp型半導体が実現できると考えた(図a)。

 結晶のCuIは透明なp型半導体で、この多結晶薄膜の移動度は〜8cm2/Vsであることが数年前に報告された。そこでCuIとSnI4を有機溶媒に溶かし、室温でスピンコートして薄膜を作製したところ、透明で均質なアモルファスの薄膜が得られた。その正孔の移動度は6〜9

cm2/Vsという値で結晶薄膜と全く遜色ないものだった(図b)。

 結晶薄膜には粒界が存在するために表面は平滑でなく微小な穴が無数にみられたが、アモルファス薄膜ではこれらは見られなかった(図c)。この結果は、低温で溶液を原料に用いて簡単に成膜でき、しかも結晶薄膜と遜色ない電気特性の透明p型アモルファスが初めて実現したことになる。

画像1

【今後の展望】

 今回の成果により、透明アモルファス半導体を使ってpn接合をプラスチック上に形成できることから、曲がる電子回路の作製が可能となる。さらに物質設計指針が提示されたので、これに沿って移動度の大きい透明p型アモルファス半導体が様々な元素で構成できることから、TAOSに匹敵する新しい物質群が得られるものと期待される。

【用語説明】

[用語1]
アモルファス半導体:原子が規則正しく配列されている結晶に対し、決まった原子配列をもたない状態がアモルファス。不純物の添加や電圧をかけることで伝導度を大きく変化できる物質が半導体。アモルファスは容易に均質な薄膜は低温で作製できるメリットがあるが、優れた半導体機能をもつ物質は稀である。

[用語2]
バンドギャップ:電子が空っぽの伝導帯と詰まった価電子帯とのエネルギーの差で最小の値。

[用語3]
IGZO:インジウム、ガリウム、亜鉛と酸素から構成される物質。優れた特性を有するアモルファス半導体としても機能する。2003〜4年に東工大細野グループによって初めてその薄膜トランジスタ(TFT)が作られた。最近、急速に普及しつつある大型有機ELテレビの画面は、これまでの半導体では駆動できず、IGZOのTFTが採用されている。

[用語4]
電子軌道:原子の属する電子は、そのエネルギーによって空間的に存在する領域が決まっている。エネルギーの低い順にs、p、d、f軌道となる。s軌道は形状が球形で、p軌道は2葉のクロバー型。大きく広がった、お互いに直交する3つのp軌道は、大きく広がったs軌道に形状が似てくるので、擬s軌道≠ニ見なすことができる。シリコンやゲルマニウムなどの典型的半導体物質では、4面体の中心から4つの頂点方向に伸びたsp3軌道から価電子帯が構成されている。
<資料提供:東京工業大学>